シルクロードの風に吹かれて
(産経新聞青森版より)
※掲載認可
MTC21代表 山本光一
| 《上》 |
| ●● 第5次ウォークは2001年 ●● |
| 4月25日のMTC21の定時総会で、第5次のシルクロードウォーク実行委員会が設置された。実施年度は2001年(平成13年)と決まった。夏休みを利用するので、時期は7月末から8月上旬になるだろう。第5次は4次の続きとなるが、4次で到着したパキスタンは政情不安定だから、いきなりトルコに入るルートを考えている。 |
| これから一年、資料集めや対外交渉で、実行委員会(5人)は忙しくなる。これまでのウォークでは日中友好協会の尽力があった。トルコにもそうした類のものがあると聞く。連絡を取ってみたい。 |
| シルクロードを歩こうと決めたのは、ウォーキングクラブMTC21のチャレンジウォークの打ち上げの席だった。 |
| 昭和55年9月、津軽の岩木山神社から八戸の新羅神社までの150kmを48時間以内で歩く過酷なウォークを、2時間の仮眠だけで大半の参加者が完歩した。祈とうを受けたあと祝杯。懇談のなか、山根勢五顧問が「われわれのルーツである中国のシルクロードを歩いてみないか」と呼びかけた。酒の勢いもあり「ウォー」と気勢が上がった。あれからすでに、シルクロードのウォークは4次を数えた。 |
| ●● 富士山より高い山越え ●● |
| さて、第4次のウォークは、平成9年7月から8月にかけ、新彊ウイグル自治区カシュガルから標高4500mのパミール高原を越えてパキスタンの桃源郷フンザまでの360kmを歩いた。 |
| それまで平地のウォークしか知らない私たちにとって、富士山より高い山越えは初めてだった。研修時の講師、日本ヒマラヤ協会の常務理事、寺山玲子女史をはじめ、登山家のみなさんから高山病対策を学んだ。ガモウバック(簡易加圧装置)や酸素吸入器、専門医師の確保など、考え付くことをすべてやった。 |
| ●● 4次の"痛快さ"冷めず ●● |
| 標高4500mのフンジュラブ峠では真夏の吹雪に見舞われた。しゃく熱のゴビタンや高山病と戦いながら歩き、万年雪に抱かれた山々やカラクリ湖の星空とパオの中で語り明かした日々は生涯消えることはない。そして、あらゆる困難を克服しチームワークと体力・気力で世界で初めて成し遂げた痛快さは、今でも冷めることはない。 |
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| 《中》 |
| ●● 居酒屋で考えさせられる ●● −現地とどちらが幸せ?− |
| 第4次シルクロードウォークには、4人の隊員が会社を辞めて参加した。長期休暇が取れないことや、生涯の中で自慢できることをやってみたかった、というのが理由である。 |
| だれしもが夢をもって生きている。それは大きい、小さいは関係なく、その人がいかに夢に向かって努力したか、そして満足できたかにある思う。たとえ途中で挫折しようが、自分で決断し実行に移すことが尊いことだと思う。 |
| 以前、冒険家の大場満郎さんと八戸の居酒屋でいっしょに飲んだとき、考えさせられることがあった。 |
| アマゾンの川をイカダで下っていたときに、「現地の人は川に行けば魚がいっぱい捕れ、ジャングルに行けば果物がたくさんある。毎日をのんびり暮らしているようだ。それと比べ日本に帰ってくると、勉強とか仕事に追われて生活しなければいけない。だが、生活環境が違うので、どちらが幸せかわからない」と思ったそうだ。 |
| また、北極を三カ月間かけて横断していたときに「世界の人が全滅していて、自分がたった一人しか生き残っていないのじゃないか」との錯覚に襲われたそうだ。そして大場さんは、「自分が幸せな人生を送ったのか不幸な人生を送ったのかは、自分が決めることであり、死ぬときしかわからない」と話した。 |
| ●● 「やりたいことやる」 ●● |
| 会社を辞めてまでシルクロードウォークに賭けた隊員も、自分の意思で決めて成し遂げることができた。孫の代まで自慢できると満足した。 |
| やらないで後悔するよりは生きているうちにやりたいことはやろう。できない理由を探すより、できる方法を考えよう。 |
| ただ、家族や仕事仲間、多くのウォーク仲間の尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れるわけにはいかない。 |
| MTC21は、21年前の昭和53年に発足したウォーキングクラブ。名前には、十和田湖の自然を愛し、より多くの人と歩くことにより、十和田湖の素晴らしさを知り、1周50kmの完歩の感動を味わおうとクラブの発足に力を尽くした高橋雅夫さんのイニシャルM・Tと21世紀に羽ばたくという願いが込められている。 |
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| 《下》 | ||||||||||||||||
| ●● 第4次の記念誌製作 ●● | ||||||||||||||||
| 第4次にわたるシルクロードウォークが終わり、今回のウォークを記念して製作した記念誌「パミールを越えて」(平成10年3月31日発行)はA4版オールカラーのすばらしい出来だった。 | ||||||||||||||||
| この記念誌は、平成10年4月29日第21回定時総会の席上、MTC21の創立20周年記念事業の一環として会員全員に配られた。社団法人日本歩け歩け協会加盟の全県協会にも謹呈した。 | ||||||||||||||||
| ●● 「次回参加したい」と反響大 ●● | ||||||||||||||||
| 反響は大きく、「今度の第5次はいつ実施されるのか」とか、「次回にはぜひ参加したいが」などの問い合わせが殺到した。 | ||||||||||||||||
| MTC21には青森県内はもとより、全国に会員がいる。趣旨に賛同できる方はだれでも会員になれるのだ。海外にも中国の蘭州市・天津市・ウルムチ市・アメリカのカリフォルニア・シアトル・ヒューストン・カナダのオンタリオ・スコットランドの8支部がある。会員は187人. | ||||||||||||||||
| ことし1月の正月を利用し、ヒューストン支部を起点に会員有志15人でテキサスウォークが実施された。ヒューストンの支部長はMTC21の顧問で、日本人学校の校長をしている。支部長は1次から3次のシルクロードウォークに参加した歴戦の強者だ。第4次に参加できなかったのが残念で、ヒューストンを訪れた会員にしきりにウォークの様子を質問していた。 | ||||||||||||||||
| ●● 我が青春悔いなし ●● | ||||||||||||||||
| いつもそうなのだが、シルクロードウォークが終わると、しばらくは撮影してきた写真やウォークのハプニングなどで盛り上がるが、その後の虚脱感で例会参加者も減ってくるのが常だった。しかし今回は冷めるどころか第5次シルクロードウォークの話題で会議にも熱が入っていた。そして、今年の4月25日の定時総会で、第5次の実施が2001年(平成13年)に決まった。 | ||||||||||||||||
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