シルクロードウォーク発端 昭和55年(1980年)10月7日の話

-   第1次中国ウォーク体験記「中国ひた歩き」から   -

  「十和田湖1周50kmを3回歩いたし、青森〜八戸間100km、岩木山〜長者山150kmチャレンジウォークも完歩した。どうだろう、近い将来、あのシルクロードを歩いてみないか」
  1980年10月7日、岩木山〜長者山150kmを二昼夜で歩きとおし、まだ足の痛みも完全にいえていない30人の"完歩パーティー"の席上、MTC21の顧問・山根勢五は、こんな夢のような話をぶち上げた。
  歩くことにかけては強者ぞろいの参加者の中から、おそらく酒の勢いも手伝ってのことであろう、「ウォー」という声が上がった。
  二晩の仮眠時間がたったの2時間、時速5.5kmのペースで、しかも足を棒にし、マメの痛さに泣きながらも歩き通した若者たち。その感激の声が一つになった瞬間、MTC21代表・竹内幸一(当時)は「会発足5周年を記念し、絶対実現させるぞ」と心に誓った。
  「中国の、言わば未開の地シルクロードを歩く」―
  同じパーティーに出席していた副代表・山本光一、同音喜多平男、袴田行政ら組織の主だったメンバーは、内心「何回も現地調査をできるわけでもないし、ましてや未開の地を、どんな装備で、どうして歩けるんだ」と思った。
  音喜多らは、MTC21がスタートした当初からのメンバーである。十和田湖1周にしても、青森〜八戸間100kmにしても、何時に出発、時速何キロで歩き、どこで休んで、何を食べさすか―などを企画・立案する責任者だった。
  当時、NHKがシルクロードを長期取材した番組を、テレビでシリーズで放映していた。今まで未知の世界だったシルクロードの熱砂、砂漠の民、そして喜多郎のシンセサイザーの音楽と見事に調和し、彼らのロマンと闘志をかきたてたのも事実だった。
  パーティの参加者らと共に、「ウォー」と声を張り上げたものの、一方で「絶対に実現できっこない」と信じていた。
  とにもかくにも、もし実現すれば日本、いや世界でも初めてという「シルクロード・ウォーク」の構想がこうしてスタートした。

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